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「あってもなくても大して変わらない」そんなブログです。

何だか久しぶりに日記を書くのだが、こんなテーマで良いのだろうか

新カテゴリー!【私のこの一曲】第1回「けんかをやめて」河合奈保子

最近何かとワシが影響を受けている本業・AV女優、しかしながらその秘めたる才能は多岐にわたる末恐ろしき才女・架乃ゆらさま(なぜかワシは彼女を様付けで呼んでいる)。

そんな彼女が冠番組を持っていることを知っている人はなかなかいない。

その名は「架乃ゆらのLove昭和」。昭和大好きアイドル*1・架乃ゆらさまが昭和の痕跡をとどめるスポットに出向いて行ってレポートする番組である。でもって、彼女の昭和文化愛を熱く語るコーナーもあったりして、これがなかなか熱量が高くてホントに面白い番組なのである。

その番組の無観客公開収録が先ごろ行われ、昭和文化愛を熱く語るコーナーのテーマ、今回は「昭和歌謡に出てくる『こわい女』愛について語る」というちょっとヘビーなもの。そこで中森明菜の「難破船*2」とともに紹介されたのがこの「けんかをやめて」である。

ワシはこの曲は小学生くらいの時に聞いた覚えがあり、曲が短く歌詞がそれほど字数が多くないためすぐに覚えてしまったのだが、その歌詞を見てゆくと、何ともこの曲の主人公である女性の問題だらけの性格が私を含めた聞き手をいらだたせることに小学生の時分に既に気づいてしまっていたのである。

この曲の作詞・作曲を手掛けたのはご存じ竹内まりやアン・ルイスに書いた「リンダ」では彼女(言うまでもないがアン・ルイス)の音楽的ルーツであるアメリカンポップス感覚あふれるバラードで、アイドルからワンランクアップした彼女の成長を感じさせたり、薬師丸ひろ子に書いた「元気を出して」では彼女(これも言うまでもないが薬師丸ひろ子)の清涼感あふれる声質にあった爽やかなミディアムテンポの楽曲で彼女の楽曲の幅を広げるなど、単に曲を提供するだけでなく、その後の楽曲被提供者の成長を促すような楽曲づくりをしている、いわばプロデューサー的側面で楽曲を提供している印象が強い。
ところが、この「けんかをやめて」はどうだろうか?この楽曲は確かにヒットした。その頃の流行歌に疎いはずのワシでさえ覚えているくらいヒットしたのだが、この楽曲で河合奈保子が歌手として成長したという評価を私は寡聞にして知らない…ってか寡聞でいい(何のこっちゃ)。

その後の彼女は急速に大人向けともいえる路線へ進み、シンガーソングライターとして自作曲を何作かリリースするものの、ついにはフェイドアウトするかのように芸能界から消えて行ってしまったことは周知の事実なのだが、それはこの曲のヒットとともに彼女が何か大切なものを失ってしまったからではなかろうか?ワシはそう考えてみる。
大切なもの、それはファン或いはファンでない人たちからの支持である。ファンからの支持なくして芸能活動はできない。それは自明のことなのだが、ファンでない人からの支持というのはいかなるものなのかというと、反発である。この反発が適度にないと芸能活動というのは円滑にはならないとワシは考える。
過度な反発は芸能活動そのものを妨げてしまうことにもなりかねないが、ある程度の支持が集まってくるといろいろな意味での反発…やっかみや嫉妬などの感情的なものが殆どであるが…が起こる。まぁ、シャレになる程度の反発であればそれは寧ろ人気のバロメーターとしてとらえられるものなのであるが、過度な反発ともなると話は別である。
何がそうさせたのかというと、この「けんかをやめて」という曲の歌詞に起因する何かがあるのではないか?と考察してみる。
主人公の女性はどうやら二人の男性を同時に好きになってしまっており、それがもとで二人の男性は喧嘩している真っ最中…という、このとっかかりからしてもうツッコみどころ満載であろう。短いイントロに合わせてサビの部分が歌われる。

 けんかをやめて 二人を止めて
 私のために争わないで もうこれ以上

…いや、あんたが悪いんだろうが(呆)。しかし、この女性、自分は悪くないと言わんばかりにこう続ける。

 違うタイプの人を 好きになってしまう
 揺れる乙女心 よくあるでしょう?

…ねーよ(苛)。しかも自分で「揺れる乙女心」なんて言っちゃうかねぇ?「揺れる乙女心」ったら架乃ゆらさまのイメージビデオのタイトルだけでたくさんなんだがなぁ(意味不明)。だが、よほどこの女性は自分は悪くないと思いたいのかこう続ける。

 だけど どちらとも 少し距離を置いて
 うまくやってゆける自信があったの

そんな自信は無意味だよ(ぼそっ)。できるわけないでしょうがそんなもん。そんなこちらのツッコみを無視して、彼女は争っている二人に言って聞かせるつもりでこう言う。

 ごめんなさいね わたしのせいよ
 二人の心 もてあそんで
 ちょっぴり楽しんでたの
 思わせぶりな態度で だから

ここは架乃ゆらさまもお怒りになった個所である。いや、そら怒るわい。もてあそばれたほうはいい面の皮ですよそんなもん。剰え「ちょっぴり楽しんでた」とはなんという言い草であろうことか…ひどいを通り越してむしろ極悪といったほうが良いかもしれない(差支えはあるかもしれないが)。

 ボーイフレンドの数 競う仲間たちに
 自慢したかったの ただそれだけよ

…ただそれだけ?…それだけ、なんですか…?都合のいい時だけ理由を取り繕って、争っている二人にすみませんでしたの一言くらい!…いかん、ガンダムのセリフの中でもそんなに有名じゃないセリフをパクってしまった(謎)。

この後サビ前の歌詞をもう一回、そしてサビの部分を延々と繰り返しながらリピート&フェイドアウトしてこの曲は終わるのだが…いかがだったろうか?こんなひどい状況を無自覚で作り上げるこの女性、かなり始末に負えない存在であるとは思えないだろうか?最後がフェイドアウトで終わるというのも、この問題が解決していないのに原因、いやすべての元凶であるところのこの女性は何にも責任を負わないまま、何の補償もしないままどこかへ消えて行ってしまうことを暗示しているかのようである(ゆらさまもこのことに言及されていた)。

ワシは小学校の頃にこの曲を聞いて以来、こんな女性には関わりたくないという思いだけで目の前を通り過ぎてゆく女性たちを見送ってきた…見送ってきただけでどうにかする気にもなれないままこの年(47歳)になってしまった。
幸か不幸か、そんな女性は現れないままだし、そもそも女性に縁などなかっただけなのだが、改めてこの曲を聞くと、そんな他愛のないことで何のかんのと言っていられるうちが、何となくだが幸せな気がしてくる。それは取りも直さず自分が年老いてしまった証なのかもしれないが…。

何だか最後は悲しくなるような結論に達してしまった。まぁ、今でもこういう女性はあまり好きではない。むしろ嫌いと言ったほうがいいかもしれない。
だが、好き嫌いは別にして、いっぺんでいいから、この世で一番魅力的だとワシが思った女性に思いきり振り回されてみたいと、このところは妙にそう思っている。

*1:アイドルなの!一応恵比寿マスカッツのメンバーなんだからアイドルだろ!アイドルフェスにも出たことあるし学園祭にも出たことあるんだからアイドルって言ったって間違いじゃないだろ!

*2:まぁ、確かにこの曲の主人公の愛は表面的には「こわい」ものであろう。じっくりと聞きこめばその怖さは「哀しい」という感情に裏打ちされたものであることは誰でも気づくことかもしれない